2010年05月03日
四国遍路考(18)
『体感:2』
「毎日の食事が美味しかったこと」これも身体で感じたことです。胃に入るときの幸福感!久しぶりで味わいました。身体が欲しているので当然かなと思いました。
それだけエネルギーを消費し、生命体を維持するためには補給が必要な状態だからこそです。食事を美味しくいただくには、身体が欲する状態を作り出せばいいのだ、そんなことを考えたりします。
「心の栄養・エネルギー」についても同様のことが言えるのではと思いつきました。つまり何らかの行動を起こし、頑張っているとき、それが大変であればあるほど、他人からのアドバイスや書物からいただく知恵は、とてもおいしく心に染み入るに違いない。

(色々なタイプの食事をどれも美味しくいただきました)
「毎日の食事が美味しかったこと」これも身体で感じたことです。胃に入るときの幸福感!久しぶりで味わいました。身体が欲しているので当然かなと思いました。
それだけエネルギーを消費し、生命体を維持するためには補給が必要な状態だからこそです。食事を美味しくいただくには、身体が欲する状態を作り出せばいいのだ、そんなことを考えたりします。
「心の栄養・エネルギー」についても同様のことが言えるのではと思いつきました。つまり何らかの行動を起こし、頑張っているとき、それが大変であればあるほど、他人からのアドバイスや書物からいただく知恵は、とてもおいしく心に染み入るに違いない。
(色々なタイプの食事をどれも美味しくいただきました)
Posted by ドキターKAZ at 22:50│Comments(2)
│四国巡礼
この記事へのコメント
同じ修行でも「断食」はどの様な状態
なのでしょう?
「心の栄養・エネルギー」との繋がり
に興味があるのですが?
なのでしょう?
「心の栄養・エネルギー」との繋がり
に興味があるのですが?
Posted by 温水プール♪ at 2010年05月04日 11:05
to:温水プール♪さん
今から16年前、奈良の信貴山にある断食道場に入場し、9日間の修行をしました。
そのとき教えられたことで印象に残っているのは、「人間は食料で生かされているし、病気を治すのも食料である。これが絶たれると本来人間がもっている’治癒能力’がはたらき、病気を治すことができる。」というものでした。
何となく納得しました。また食べないことは予想したほど辛いものではありませんでした♪
心の栄養が行動のエネルギーになることは間違いないと思います。
今から16年前、奈良の信貴山にある断食道場に入場し、9日間の修行をしました。
そのとき教えられたことで印象に残っているのは、「人間は食料で生かされているし、病気を治すのも食料である。これが絶たれると本来人間がもっている’治癒能力’がはたらき、病気を治すことができる。」というものでした。
何となく納得しました。また食べないことは予想したほど辛いものではありませんでした♪
心の栄養が行動のエネルギーになることは間違いないと思います。
Posted by ドキターKAZ at 2010年05月04日 21:56