2010年05月06日
四国遍路考(21)
『体感:5』
背中に背負う荷物の重さ、これが無ければいくらでも歩けるのに、何てことを感じたのは二度や三度ではありません。家を出るときの軽量ではAKIが4Kg私が6Kg、日々の生活ではそれほど重いとは感じない。
夕方宿に到着し、身軽になって参拝に出かけたことが何回かありました。それまでの負荷から開放されルンルン気分で歩けたものです。どこに基準をおくかによって相対的な気分が変わります。
ふと思いました、我々の人生目に見えないくだらない荷物を背負って生きていることがあるのではないか。過去へのこだわりとか他人への不満だとか。人生を楽に過ごすには、そんな重荷はさっさとおろし身軽になるべきなのです。

(歩き遍路は最低限の生活品を携行せねばなりません)
背中に背負う荷物の重さ、これが無ければいくらでも歩けるのに、何てことを感じたのは二度や三度ではありません。家を出るときの軽量ではAKIが4Kg私が6Kg、日々の生活ではそれほど重いとは感じない。
夕方宿に到着し、身軽になって参拝に出かけたことが何回かありました。それまでの負荷から開放されルンルン気分で歩けたものです。どこに基準をおくかによって相対的な気分が変わります。
ふと思いました、我々の人生目に見えないくだらない荷物を背負って生きていることがあるのではないか。過去へのこだわりとか他人への不満だとか。人生を楽に過ごすには、そんな重荷はさっさとおろし身軽になるべきなのです。
(歩き遍路は最低限の生活品を携行せねばなりません)
Posted by ドキターKAZ at 23:26│Comments(1)
│四国巡礼
この記事へのコメント
私はKAZのようには思いませんでした。
重い荷物がなかったらどんなに楽か・・・。
これは人生を象徴している、だれもなんらかの負荷を抱えて辛抱して
生きている、時には少し楽になることもあるかもしれないが、
死をむかえた時が開放される時なのだと。
そんなことを感じながらひたすら歩きました。
重い荷物がなかったらどんなに楽か・・・。
これは人生を象徴している、だれもなんらかの負荷を抱えて辛抱して
生きている、時には少し楽になることもあるかもしれないが、
死をむかえた時が開放される時なのだと。
そんなことを感じながらひたすら歩きました。
Posted by ドキターAKI at 2010年05月07日 22:11