プロフィール
ドキターKAZ
ドキターKAZ
 自称モノ・コト研究家、(元)生涯学習開発財団 認定コーチ。現在プロの講師として活躍中。静岡県藤枝市在住。

 ニックネームは「ドキターKAZ=Dr.KAZ」・・・ドクターではありません。ドキターは物事何でも面白く感じて、ドキドキワクワクする人の意味です。

 大手製造会社の人材開発部門を早期退職し、新しいビジネスを様々な角度から模索中です。このブログを書きながらオンリーワンといえるようなヒントをつかみたいと思っています。

 2011年末にNPO法人「静岡団塊創業塾」を立ち上げ、現在理事長を務めています。中高年世代を元気にする、「仕組み、仕掛け、居場所」を提供しようとあれこれ頑張っています。

 私の妻’ドキターAKI’は子ども達を対象に「英語であそぼドキターKIDS」を運営しています。
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2013年12月13日

東海道一人ある記(9/20)

『旅をする時期』

今回の私の旅は天候に恵まれて良かったです。1回だけ雨が降りましたがちょうどホテルに着いた直後でラッキーでした。そこではたと思ったのが昔の人の天候や季節に対する対応です。

少なくとも私は季節を選べました、猛暑や酷寒の中を歩くという選択肢は初めから無し。しかし必要に迫られた旅はそうは行きません。当時夏の暑い盛りや厳冬の旅はさぞかし大変だったことでしょう。何せ空調のきいた乗り物など無い。

天候は現代でも選べませんが少なくとも予測はできる。当時はせいぜい雲行きからの予測で確度は低く、突然の豪雨に見舞われびしょ濡れになるのも日常茶飯事だったはず。何せ折りたたみ傘など無い。

歩く疲労に耐えることは自分との戦いですが、当時の人はまず自然と戦わなければならなかったわけです。

(写真は芦ノ湖と富士山、箱根関所付近の松並木、箱根ではかなりの寒さを感じました)

東海道一人ある記(9/20)
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Posted by ドキターKAZ at 22:59│Comments(0)東海道ひとり歩き
 
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